戦後 70年 しか経ってなかったんですね〜


いやいや 少し時間がずれてしまいましたが、今年は戦後70年の節目の年ということで、関連する内容の番組やドラマが沢山やっていましたね。

 

 

自分自身も今年は色々な番組を見ました。今迄は学校の歴史でも戦前戦後はほとんど授業でやらなかったし、余り興味が無かったんですね。終戦記念日、広島、長崎の原爆投下の日でさえ、有った事は分かっていても、日日があやふやでした( ̄◇ ̄;)お恥ずかしい

 

 

今年は見まくりしたよ。終戦した日も原爆投下された日もしっかり記憶しました。更には何故戦争が起きたのか?何故原爆投下されたのか?また、今年は有名な軍人さん達ばかりではなく、普通の兵隊さんや民間の方の話など…深く掘り下げた話も多かったので非常に興味深く見ていました。 

  

ネットでも、戦争の背景や人物を検索して、今迄知らなかった事を少しですが、知るきっかけになりました。

  

自分は仕事柄、高齢者の方から戦争当時のお話を聞く機会が多少あります。いくつか聞いたお話を簡単に書いてみます。

  

◯B29

女学校時代、都内の軍需工場で落下傘?の布をミシンで縫う作業をしていた。テーブルを挟んで布を引っ張る作業中にいきなり敵機が現れ、窓越しに銃撃して来た。自分はたまたま物を落としてしまい、拾おうとしゃがんだので球が当たらなかったが、銃撃が終わり机から顔を出したら目の前や周りの友達が亡くなっていた。

 

◯敵機から

畑を手伝っていたら、飛行機が沢山飛んで来た。急いで逃げたが空から銃撃して来て、必死に逃げたがお尻に球が擦ってしまった。お尻の肉が削がれてしまった。未だに痛みがある。

 
◯シベリア

戦後捕虜になり満州からシベリアに送られた。日本に帰してやるからとトラックに乗せられ、移動した先はまた、シベリアの別の場所。喜ばせて期待させて裏切られ…そういう事が何回もあって、段々日本に帰るという気力が無くなってしまって亡くなった方もいた。食べ物を冷たいスープ、カチカチの黒パン。硬くて噛めないからスープに浸しながら食べた。シベリアの女性はみんな綺麗で親切にしてくれた覚えがある。最後に日本に帰る船に乗れた時も日本の土を踏むまで、また嘘なんじゃないかと最後まで信じられなかった。

 
◯従軍看護婦
看護婦の資格をとり、南方の方で看護婦をしていた。戦後、生き残ったメンバーで南方を訪問し慰霊した。

 

◯慰問袋

 慰問袋(内地から戦地の兵隊さんを慰問するために送られた袋)を縫って中にお手紙を書いて渡した。慰問袋は誰に渡るか分からないのだけど、一生懸命思いを込めて作った。戦後、何年かしたらある日突然知らない男の人が訪ねて来たんです。話をしたら自分が作った慰問袋を受け取った方で、『無事に帰ってこれたのでお礼を言いに来たんです。』って。それが縁で結婚しました。

  

この様な感じのお話でした。直接お話を聞くと感慨深い…意外なのが皆さん時々笑いを交えながらお話をして下さるんですよね(´・_・`)

強いなぁ〜。

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